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井谷先生、
明治の日本でオールド・ノリタケのような素晴らしい洋食器が造られていたなんて、奇跡のようですね。

ノリタケといえば誰もが知っている陶磁器の会社です。そのノリタケがアメリカへ輸出した磁器のなかで明治18年頃から昭和10年頃までのものが、近年コレクターアイテムとして人気が高まっている「オールド・ノリタケ」です。日本でもその精緻な美しさに対して「近代陶磁の至宝」との評価が高まり、愛好者がふえつづけています。
アメリカが国として大きく成長をはじめた20世紀初期、その生活を彩ったオールド・ノリタケのなかには繊細な模様に日本の伝統の技を偲ばせるコーヒーカップも多く含まれています。オールド・ノリタケの研究をつづけられている美術史家の井谷先生にオールド・ノリタケの魅力、そしてコーヒーとの関わりについて伺いました。

明治期の輸出陶磁史を研究されている美術史家 井谷善惠先生

東西の美と文化の融合から生まれたオールド・ノリタケ

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— まず、オールド・ノリタケとはどういうものでしょうか。

井谷先生:ノリタケ・カンパニー(創立当初森村組、明治37年から日本陶器)が製造した磁器ですが、広い意味で大倉陶園製もふくめ、明治以降に瀬戸や美濃の生地を名古屋で絵付し、神戸・横浜からアメリカへ輸出されて磁器を指します。

— 先生がオールド・ノリタケも含めて明治期の輸出陶磁史の研究をつづけていられる興味はなんでしょう。

井谷先生:明治の職人さんの技術は素晴らしく、たとえば筆さばきー模様を見るとよくわかります。このカップの薔薇の花びら、光りがあたると白く輝いて見えるこの部分をマイセンですと白く塗ります。すると厚みがでてしまって、花弁が先にいくほど薄くなる本来の姿とは反します。それでノリタケはテレピン油で抜いてしまい、薄く光りに透けて見える自然の感じをだしています。

— より自然に近づけたいということでしょうか。そういうやり方は日本だけですか。

井谷先生:というよりノリタケに代表される名古屋の技法です。たとえば金彩についても今でも高級品に限って手仕事ですが、現在そういう技術と職人さんがだんだんいなくなっています。でも明治ですから、今だったら辛うじて話を聞けるのですね。そういう技やどういう生活のなかから生まれたのかなどをきちんと調べて、次の世代へ伝えたいと言う思いは強くあります。

— 輸出用として好まれたというこの薔薇も、日本で考えられた模様ですか。

井谷先生:元のデザインサンプルはニューヨークで描かれ、それが日本で絵付されました。オールド・ノリタケはもっぱらアメリカ向けでしたが、当時のアメリカの憧れと言えばヨーロッパですから、ヨーロッパ風が好まれたのです。
富裕層はヨーロッパのマイセンやセーブル、一般大衆が日本製の廉価なものに飛びつきました。

 

アメリカの発展に足並みを合わせて

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井谷先生:そもそもはアメリカに大陸横断鉄道ができて、東から西までの海岸での交流が食品にまでおよび、美味しいものが食べられるようになります。すると次にはいい食器が欲しくなり、人を呼んでパーティなどもするようになっていきました。

— 生活スタイルが変わって、ディナーセットなどが流行るようなったとか。

井谷先生:そうです。ノリタケの前身である森村組が、アメリカで洋食器の販売を勧められたのが明治27年(1894年)ですが、白色磁器生地の研究からディナーセットができるようになるまで約10年かかっています。

— 日本の伝統にはない初めてのものを作るのですから、大変ですね。

Image54井谷先生:市場も開拓して売れるようになったその後、シアーズ&ローバックのような通信販売網がはりめぐらされると、アメリカ全土で食器類がさらに売れるようになっていきます。そのうちユーザーからもっと大きいサイズが欲しいなどと注文がでてきます。ところがヨーロッパの名門は誇りもあるし伝統を守るので応えてくれません。

— 新興国日本にとってはチャンスですね。

井谷先生:仕事は丁寧、納期は守る、ユーザーの好みにテイスト合わせると、日本は三拍子そろっていますから、どんどん売れるようになります。もっとも当時は絵付なども万国博覧会で受賞したような大変上手な人たち、明治維新とそれにつづく廃藩置県で職を失った人たちが手がけていたのでレベルも高い。当時の日本の職人さんたちは賃金も安かったので、日本製が安価だったこともアメリカ人には魅力でした。

 

コーヒーを美味しくするコーヒーカップは?

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— 先ほどの薔薇模様のカップ&ソーサーそうですが、明治の職人さんはコーヒーというものを知らずに作っていたわけですか。

井谷先生:はい、何を入れるのかも分からず最初はたぶん椀をつくりなさい、と言われたと思います。そのうち名古屋かどこかで初めてコーヒーを飲んだとき、「自分たちが作っていたのはコレのためなんだ!」と分かった瞬間は嬉しかったでしょうね。

— 嬉しさと同時に驚きもあったかもしれませんね。初めて経験するコーヒーの味には。

井谷先生:そう、ドロドロと苦くてどこが美味しいのかと思いながらも、コーヒーの色をよりよく見せる色や絵付け、どうすればより売れるかの研究に励んだのでしょう。

— 日本のカップは諸外国に較べて一般的に軽いということですね。

井谷先生:茶碗のワンという文字には椀と碗、木偏と石偏がありますが、木偏の椀から碗に変わります。日本ではご飯をいれて持ち上げて食べますから軽い方がいい、それで薄くて軽いというのが日本人好みに合っています。
ところが西洋の食事はテーブル置きが主ですし、そもそもヨーロッパの貴族やお金持ちは自分で食器を運ぶ・持つなどはしませんから、重い軽いの興味はなかったでしょう。

Image48— カップひとつにも風土や食習慣のちがいが表れているのですね。
コーヒーがいちばん美味しく飲めるのはどんなカップでしょうか。

井谷先生:軽くて薄いカップは冷めやすく、厚くて重いのは冷めにくいと相反するところがありますが、薄くて広がっているカップは口あたりが良くていいですね。
でもそういう形は重ねられず又壊れやすいのでホテル使用には向いていません。

Image47— 上が開いているのは紅茶カップとか、そういう違いはありませんか。

井谷先生:生産者の側にはそういう違いはないとおもいます。あくまでもユーザー側の使い方です。コーヒーのチェーン店などでよく見るマグカップも、あれだけの厚みによって冷め難く割れ難いのでサービスする側にとっては都合がいいのです。

— コーヒーカップの使われる環境によるわけですね。

井谷先生:ですから家庭ですとそんな冷める距離を運ぶこともなく、重ねなくてもすみますから、薄いものや取っ手の凝ったものなど自由に好きなカップが楽しめますね。

— 先生ご自身のお好きなカップはどんなタイプですか。

井谷先生:コーヒーがきれいで美味しそうに見えるので、やはり薄い方をよく使います。

 

心に残るエメラルドマウンテンとの最初の出会い

Image41— コーヒーはよく飲まれますか。

井谷先生:もうこれ無くしては生きていけない、というほどのコーヒー好きです。
タイプとしてはモカ系の酸味が強いものを薄めに淹れてよく飲みます。
初めて飲んだコーヒーは、高校の受験勉強で眠気醒ましに飲んだネスカフェですね。
私は中学・高校とアフリカのナイジェリアにいました。元イギリス植民地で欧風文化なものですから、大人の場所に子どもは入れません。ですから直接見た記憶は曖昧ですが、両親はインスタントではなく豆Image40のコーヒーを飲んでいたと思います。

— 中学生の先生はインスタントに砂糖とミルクをたっぷり入れて・・・・。

井谷先生:そうです。本格的に飲み始めたのは日本に戻って大学に入ってからです。
エメラルドマウンテンは3年ほど前に知りました。飲んだ瞬間、好みのコーヒーだなと。
その時は産地など詳しいことを知らなかったものですから、アフリカ滞在中に訪ねたタンザニアやケニアを思い出して、乾いた空気の中で飲むと美味しいだろうなと感じたのを覚えています。

— 当時の先生にとって、タンザニアとケニアはとても快適な場所だったのではないでしょうか。美味しいコーヒーは良い記憶を呼び戻す効果があると言う人もいます。

井谷先生:私は多摩大学で美術史の他に、2年前からグローバルスタディズ学部の授業の一つとして「コーヒーと紅茶の異文化交流史」というのを教えています。これが意外に人気の講座でして、学生にとって一ばん身近な飲み物がコーヒーと紅茶、今や国民的飲料です。
彼らにとって日本茶はペットボトル、ちゃんと飲むのがコーヒー・紅茶のようです。

— 中国から渡来した日本のお茶の文化が千数百年を経て、大転換をしたわけですね。
アフリカからアラビアを経てヨーロッパに伝わったコーヒーが欧州に与えて影響も大きかったのでしょうか。

井谷先生:そうですね。コーヒーがトルコからヨーロッパに広がるにつれてカップを楽しむ文化が成熟していきましたが、アメリカでも最初は西部劇で見るようなホーローのカップでコーヒーを飲んでいました。それがもっと美しいもの飲みやすい器への欲求が高まってオールド・ノリタケへと繋がっていったのです。

— 日本としても明治維新の後、なんとか海外貿易で国を立ち行くようにしなくてはいけないという事情がありましたね。

井谷先生:それは切羽詰まったものがありました。ですからオールド・ノリタケ初期の森村組はニューヨークへ支店を出し、アメリカの生活の研究や彼らに好まれる白い磁器の製造、絵付の模様などについてたゆまぬ努力を重ねて市場を開拓して行ったのです。

 

多くの熱意が注がれたものの、消えない価値

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— 当時はヨーロッパへも度々研究のために行っていますね。
先生の著作でそういう懸命で一途な努力を知り、胸が熱くなるような気がしました。

井谷先生:もともとが主に生活の器ですし、当時のメイドインジャパンは安かろう悪かろうの代名詞でしたから、日本製の食器もそういう眼で見られる時代が長くありました。
それが80年代にアメリカでコレクターが出てきて、再評価の気運が高まりました。

— あれだけの熱意が注がれたものだからこそ、今の人にも訴える美しさや魅力があるのでは思いました。
ここで我田引水になりますが、エメラルドマウンテンというコーヒーもブルーマウンテンに匹敵する味を実現するために、コロンビアの生産者連合会(FNC)が全力を傾けて作り出した豆です。栽培環境、土壌や品種、収穫の方法や品質管理まで全てに厳格な基準を設け、それをクリアした豆だけが選ばれます。コロンビアのコーヒー生産量のトップ1%、厳選された豆がエメラルドマウンテンです。

井谷先生:今日はそのエメラルドマウンテンに合うコーヒーカップを選んでみました。
大倉陶園製ですが、このエメラルドグリーンと内側のクリアな白がコーヒーの褐色ととても合うと思いませんか。これは大正期に作られたアール・デコの私が好きなカップのひとつです。

— ほんとうに綺麗でモダンなカップですね。口が広がっていてエメラルドマウンテンの素晴らしい香りも満喫できそうです。コーヒーカップとコーヒー、その背後にある歴史や作った人の思いなどを考えながら飲むとさらに味わいが深まる気がします。
今日は興味深いお話をありがとうございました。

井谷 善惠 Yoshie Itani

1979年関西学院大学文学部卒業、就職、出産、子育てを経て、1998年関西学院大学院文学研究科前期課程入学、2000年終了。
2001年ロンドン大学アジア・アフリカ研究所大学院でM.A.取得、オックスフォード大学に移り、2006年同大学オリエント研究所より博士号授与。現在多摩大学非常勤講師、専門は近代日本美術史、美術工芸史、特に明治期の輸出陶磁史。

 

*オールド・ノリタケがアメリカで人気を得るまでの道程、関わった人々、そしてその後の運命など、歴史と作品の特徴をさらに深くお知りになりたい方はぜひ、井谷先生の著作をお読みください。オールド・ノリタケの魅力が詳説されています。

「オールド・ノリタケのアール・デコ」平凡社

「オールド・ノリタケのアール・デコ」平凡社

「甦る白瑠璃 コラレン」平凡社

「甦る白瑠璃 コラレン」平凡社

「近代陶磁の至宝 オールド・ノリタケの歴史と背景」里分出版

「近代陶磁の至宝 オールド・ノリタケの歴史と背景」里分出版

この記事は、2009年〜2011年の間に公開された記事のバックナンバーです。表示されているゲストの方の所属や肩書きは、掲載当時のものです。また、コロンビア産コーヒーに対するエメラルドマウンテンの割合も、その時の収穫量などにより、1%と表示されていることがあります。