日本海側は大雪、太平洋側は北風ビュービュー。今年のクリスマスは冷え込みました。 でも、皆さまの思い出のクリスマスはどれも暖かく明るく、情景が浮かんでくるようでした。イブにプロポーズのお話も何通か。今年も全国でたくさんのカップルが誕生したかもしれません。本年も数多くの投稿をありがとうございました。
昨年、5歳の息子に「クリスマスプレゼント何が欲しい?」と聞くと「今年は弟ができたからなにもいらない。お母さんががんばったんだからお母さんがサンタさんにプレゼントもらっていいんだよ。」と言ってくれました。なんだかとっても愛おしく思え「お母さんはかわいい子供たちがいてくれることがなによりもの神様からのプレゼントなんだよ」といいました。
僕は、なんと小学6年生までサンタクロースを信じていました。最後にもらったのは野球のグローブでした。そのグローブで親父としたキャッチボールは今も忘れません。親父は10年前に他界しましたが、その時の親父の力強いボールは、今も僕の左手にはっきりと残っています。
当時付き合っていた彼がコンビニでアルバイトをしていて、クリスマス当日はとても忙しいので断り切れずシフトに入っていました。本当は一緒にチキンを食べたり、ケーキを食べたりしたかったのになぁと1人悲しく彼の帰宅を待っていると、「遅れてごめん!メリークリスマス!」という声とともに彼が帰宅。彼のリュックの中には売れ残ったチキンがなんと29本!ケーキも2ホール持って帰ってきました(笑)店長が売れると踏んで発注した商品たちは、クリスマス寒波で客足が伸びなかったためか売れ残ってしまい、店長の自腹でアルバイター達に配られたそうです。ちょっと寂しかったけど、遅れてきたクリスマスははち切れそうな満腹感で幕を閉じました!その時の彼が今の主人です。今でもクリスマスになると「お腹いっぱいチキン食べたいねー」と話します。
看護師をしていた頃(今は結婚して働いていません)、クリスマスの日は、付属の看護学校の学生さんたちが、ろうそくを持ち、讃美歌を歌いながら病室をまわってくれました。クリスマスでも外泊できない患者さんたちもいて、電気を消した中、歌声が響き幻想的で、患者さんたちが喜んでくれていたのが嬉しかったです。その間、職員は通常通り働いているのですが、ナースステーションから覗き見て、一緒にクリスマス気分を味わったものです。実習ではおろおろしていた学生さんたちが、このときはまさに白衣の天使のようで、素敵でした。
私が小学生のとき、今は亡き祖父がクリスマスになるとバターケーキをプレゼントしてくれていました。当時はまだまだバタークリームが大半で、生クリームもありましたがお値段も若干高かったように思います。子供心にケーキはうれしかったものの、本当は生クリームのケーキが食べたかったことをクリスマスになると思い出します。なんだか甘く切ない私の大切な思い出です。
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